「金の成る木」に蕾を発見。毎年、正月前後に咲くピンクの可憐な花の蕾です。
未だ寒くもなっていないのに、早くも準備完了!の風情。
P.31 柔道における霊性:加納治五郎のロンドン講演(1933年)より
P.32 「柔道の原理の一つは、
誰にでもある本当の人間の魂にどうやって訴えかけるかを
学ぶこと。人と会ったときに外観だけでなく、
また精神的な姿勢だけでなく、
本当の人間の心を見ようと努力すべきだ。」
帯津氏は上記の表現から、
(それは)人の体や精神のみならず霊性(いのちSpirit)にまで
注目すべきだという指摘に他なりません。
という解釈をされています。が、私にはこの「霊性」と「精神性」の関係は、
未だよく分りません。ただ、P.33で述べられる「自他共栄」の精神は、
よく分ります。
P.33 「自分の中にそれを見出し、自分の中でそれを高めなさい。
知性は自分の中で高められるべきものであり、柔道の修行は、
本来、攻撃と防御の型の中から勇気、意思、
そして知性というものを高めていく手段なのです。」
ここで、この本の冒頭P.20に登場する「発光流柔術」を思い出します。
P.20 発光流柔術は昭和16年に、奥山龍峰先生が開いた新しい柔術の
一門です。最大の特徴は、攻撃点が治療点と共通していることで、
鍼灸の「ツボ」や「経絡」に攻撃を仕掛けます。
P.21(攻撃が)「ツボにはなれば」一気に攻撃力が増します。
ツボを押す指には臍下丹田から導き出された気の力が伝わり、
それが相手に瞬間的な激痛を与えるのです。
(中略) さらにこの柔術が不思議なのは、倒されたときに
痛みがすでに消えていることです。それどころか、
畳の上では痛みが瞬間的に消え去ったことが信じられず、
おかしさがこみあげてきます。
投げ飛ばされたことも忘れて笑ってしまうのです……
こんなことが、修練を積めば可能になるのなら、素晴らしいと思います。
私も、体得したいと思って、
合気道や呼吸法の道場に通った時代もあります。でも、全然ダメでした。
帯津氏も一生懸命通って、「ハードトレーニングを続けたそうですが、
上達せず、結局、奥義はつかめないままに終わった」そうです。
東大空手部から柔術道場に通われた帯津氏でもダメだったのですから、
私が、ちょいとした憧れで足をつっこんだくらいではダメで当然ですね。
でも、「そういう世界がある」という事実に触れた体験は、無駄では
なかったと思っています。