
今日は和田医師の著書から「人の死」という現実認識に関して、日本人と西洋人(または世界の多くの地域?)との違いを抜書きします。
私自身は「西洋的考え方に全く同感」です。いずれにしても、著書の盗作のように誤解されると困るので、引用の前には************を挿入して区別します。
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P.61 実はスウェーデンには「寝たきり老人」がいないと言われています。なぜなら、高齢者が少しでも歩けるように、つまり寝たきりにならないように、国家を上げて取り組んでいるからです。
さすが福祉国家ですね。でも反対に、次のような一面もあります。
例えば、スプーンで食べ物を口元に持っていったときに、食べようとしなければ、もはやこれは”神の思し召し”だとして、点滴もしない。つまり、「生きる意思がない」と考えるわけです。その後は基本的に延命治療をしません。そういう社会的合意ができているのです。これも、寝たきり老人がいない一因です。
日本とは大きく違うのがお分かりでしょう。何が違うのか?
根本にあるのは、死生感の違いです。
「人は、いつかは死ぬのだから」という、当たり前の事実を、しっかり受け入れているか、受け入れずに目を背けているかーーー。
日本では、死について触れるのは、タブーとばかりに、「生きること」だけにスポットが当てられてきました。このため「無駄な延命治療はしない」と言う社会的合意がないどころか、医学会でも延命治療について十分な議論もされませんでした。その結果「医師たるもの、患者を生かす方法があるなら、なるべく生かす」と言う考え方が確立してしまったのです。
幸齢者に対しても、基本的に同じ考え方をします。
でも、本当にそれで幸せなのでしょうか? それこそ、人それぞれの死生感の問題なので、私がとやかく言うことではありません。
しかし、生きる希望を持てないまま、寝たきりになっている高齢者が多いのは事実です。問題の根底には「人は、どうせ、いつかは死ぬ」と言う視点が抜け落ちているのではないか、と私は思っています。
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