桃紅さんの追悼集 4   歳をとる歓び

p.128 たとえば、お皿一枚にしても、 若い時はこういうお皿だと
   思って いたのが、歳を取ったらまた別の 面白さを同じお皿から
   見出すよう になります。若い時には気がつか なかったけれど、
   このお皿には面 白い点もある、と老いて初めて発 見するのです。
   歳を取らないと見 えてこない。

   あるいは、私は極端に暑さに弱 く、夏は山中湖村で過ごしていま す。
   そこで咲く草花を毎年見てい ますが、ああこの草花にはこうい う美しさ
   があったのだと、これま でとは違ったアングルで見るよう になりました。

   歳を取るというのは、一応は悲 しむべきことなのでしょう。
   しかし、悲しむ一点だけではない。小 さな草花にもこういう美しさが
   あ ったのだと、初めて得られる喜び があります。歳を取ってみなけれ ば、
   気がつかなかった、というこ とは出てきます。

   特に人間関係はそうですね。あの人はああいう人だと、それまでずっと
   思っていたのに、初めてその人の良さに気づく。人に対してそう簡単に、
   いいとか悪いとか決め かるというものもあります。

   (中略)価値観というものは、相対的な ものです。若い時にいいと思い、
   今もいいと思えるものもありますが、今になって、やっと良さがわかる
   というものもあります。常に変わるものです。

   真理というものは人の知恵では人の知恵ではとてもつかめない。
   どれだけ長く生きようが、おそらく会得できないものなのでは
   ないでしょうか。

誰でも多少はあると思うのですが、私にも「苦手な人」があります。
自力整体の教室では、どんな方が来られても(苦手なタイプの方でも)、
教室全体が楽しく、全員が成長できるように気を配れば良いので、
割り切れます。

でも、仕事以外(家族も含めて)の場合は、苦手な人は避けてきました。
それは「私たちの時間に限りがあるから」です。(ミヒャエル・エンデが
「モモ」の中で説くように。) だから在職中の私は自分の時間を
限りなく「常に意味のあるモノ」にしたくて、あがいてきました。
(子育てと仕事、趣味、長時間通勤の生活では、必然のことでした。)

なので私の周りには多分、北風やつむじ風のようなピリピリした空気が漂い、
リタイアした現在も、ある種の恐さが漂っているかもしれません。
それを後悔はしませんが、桃紅さんの文章をみると、なぁるほどね~と
思うのです。

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