最期の決め方

YOSHIKOさん、度々色々なコメントを有難うございます。
私も「どうせ、死ぬなら癌が良い」と思っています。
正確には、「癌はあるけど、元気だしねぇ~」と言いながら、
「でも、105歳にもなれば、目が覚めない朝が来ても、仕方ないかもね~」です。

癌になって<良いこと>は、緩和病棟(ホスピス)に優先的に入れる点です。
元気で、苦しくないなら、入れないのかな?とも思いますが。
いずれにせよ私の最期は流行の<ピンピンころり>ではなく、デザインとしては

   <枯れるように、安らかに、眠ったまま……起きない>

こんな死に方をするには、
  「誰かによって病院に送り込まれるような病気にならない」ことが肝心です。

今の日本では病的症状があれば、医療保険と介護保険で手厚く(過保護に?)
くるみ込まれ、不快かつ不要かもしれない治療(点滴や手術)に抗し切れず、
自分の意思と関係なく<病人>にされてしまいそうです。

     な・の・で、「自力整体」や早朝Walking、ラジオ体操、整食法など、
     <情報を吟味し、実践し、検証する>を繰り返しているのです。

これだけ万全の健康法をしていても、認知症には勝てないかもしれません。
もし、何も分らなくなってしまったら、
「そんな私を見捨てないでくれる家族か友人」次第です。
見返りを期待して、ではないけれど、人に嫌われない生き方も重要かも、です。

 

写真はOrtiseiの町並み。道路も住居も清潔で美しくなければならず、
「景観は大切な財産である」という哲学が息づいているイタリアに脱帽。

Ortiseiから戻って一休み。

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