田中奈保美・著 2010/8 新潮社
知っているようで、知らなかった色々な事実に愕然としました。
その1
私の母を含め、多くの人が「無駄な延命治療はいらない。
自然に死なせて欲しい。」と言っています。
にもかかわらず、願いが叶う人は多くない。その理由は、
担当医師が「人の心臓が動いているうちは、外部から強制的に栄養や
酸素を送って、生きる手助けをするべきである。」と考えている場合が
多いから。
担当医師が著者の夫君のように<「終末期」の定義をきちんと押さえ、
理想的最期へのビジョンを持っている>場合は、本人や家族の納得が
いく看取りができそうです。
<終末期>の定義:<著者の夫君で高齢者医療の専門家。>p.207
「熱や痛みのような症状や訴えがなく、血液や尿などの検査が
ほぼ正常範囲であれば、食欲が徐々に落ちてまったく食べなく
なったときには医学的には終末としている。つまり、これ以上は
延命処置以外は考えられる医療的手当てがない」という状態。
「病気で食欲がなくなって食べられない」場合、「熱が出るとか痛みを
訴えるとか、あるいは昨日までふつうに食事をしていたのに急に食欲が
なくなったとかの症状がある」そうな。(こういう場合は、治療をするのが
当然です。)
「・・・・・・・ただ、医療ではやるべきことがもうなくなったとしても、
家族としてはやれることがまだ残っている。お年寄りが食べものを受け
付けなくなったとき、食事の内容を変える工夫をし、家族が親身になって
たべさせる努力をしたとき食欲が復活した例は、たくさんある」そうです。
具体的には、高齢の家族が寝付いたとき、細かな変化を見極めながら
適切な処置とアドバイスをお願いできる訪問家庭医が居てくれなければ
困ります。そして一番大切なのは、看取る側の家族の熱意です。
(同居している身近な家族だけでなく、遠方にいる兄弟姉妹、口うるさい
親族などへの対処も大変そうです。)
少しでも「痛みが少なく、快適に、美味しいものを欲しいだけ口にして、
安らかな雰囲気で眠る」状態に近づけてあげたいと思うと、かなりの
愛情と体力が必要です。身体介護を含めて考えると、体力的に無理な
場合さえありそうです。