努力不要論 9

今日は、昨今の<婚活>についての、著者の意見です。

P.89 何十年か前に、(中略)結婚という仕組みは
   働く男のために、社会のために、というものだったのです。

   女性は<男、家、社会>を維持するための補助的な役割を担い、
   自立的な経済生活を営まず、権利も主張しない、できないという構造でした。

   女性は基本的には男を立て、男に逆らわないもの—とういう交換条件のもとで、
   専業主婦が男の収入で守ってもらう、ということが成立したのです。

   (中略) 収入の良い人に養ってもらうのは大変結構なことですが、
   自分の自由を売り渡すことと引き換えであると気付いて婚活している人が、
   今、どれほどいるでしょうか。

確かに、私の母の時代、女性の結婚は「男性への滅私奉公」であり、
自分の意見は持たず(あっても語らない?)、
時間的、経済的余裕があればラッキー!で、趣味などを楽しめた……

母は典型的な専業主婦で、余裕のある時代は
洋裁、お菓子作り、日本画、社交ダンスなどを習い、
区営プールで泳ぐなどの楽しみを持っていました。

でも、社会参加せず、時事問題については、
夫(私の父)が言う意見に頷く(同調する)だけの、じれったい存在でした。
幸い、父はリタイアするまで事故や病気になることもなく、
母の老後を支えてくれましたが、
「もし、稼ぎ手に何かあったらどうするの??」というのが私の不満でした。

「不安」ではなく「不満」です。
「稼ぎ手の男性」に依存して生きていくよりは、
「手に職をもって、自活する方がずっと良い」と思うようになりました。

なので、自分自身の結婚のとき、迷わず求めたことが
「それぞれが、生き甲斐と収入を持って、共に暮らし、支えあう」ことです。
これはこれで、大変な軋轢を生み、かえって大変でしたが、
初心にこの志を持ったことは大変良かった……と思っています。

母はず~っと私の反面教師でした。
母の生きた時代がそうだったから、「選べなかった」ということはあるでしょう。
現代のアラフォー、婚活中の女性たちは何を求めているのでしょう?

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