《わ》 枠をはずせば、アラ、自由!
私の母の口癖は「そんなこと、できっこない」です。これは思考パターンの枠です。
母を反面教師として育った私は、常にWhy not?態勢です。
「ん? 素敵! 楽しそう! やってみる!!」が口癖で、しかも行動派です。
困るのは、体型や能力に完全にミスマッチなモノにでも突っ走ってしまうことです。
(私自身はちっとも困りませんが、周囲が困っていたようです。)
その最たるものが1976年、モントリオール五輪のコマネチの演技を見た時です。
もちろんテレビでです。こんなに優雅な動きが出来るなんて、体操って素晴らしい!
コマネチの百分の一で良いから、あの優雅さに近づきたい!と思いました。
その後数年間、語るも涙・聴くのはお笑い?という努力を重ね、私はついに
Hand spring jump<前方展開>という初歩の技が出来るようになりました。
が、どんな名選手でも20代後半ではリタイアするのに、体操経験のない、
太め(当時は次男出産直後)の28歳のオバサンが挑戦するのは、余りにも無謀でした。
36歳で背骨が痛くなり、目黒区のスポーツ相談員という方に相談したところ、
「アンタ、本当にお馬鹿だねぇ~。そのまま続けていたら、早晩、車椅子か寝たきりだよ。
それでイイなら止めないけれど、私ならその体の柔軟性と努力するエネルギーを
もっと別の、安全な競技に活かして楽しむヨ。」とのアドバイス。お説の通りです。
以降、ジャギーやタップダンス(これも体型にミスマッチ!)を楽しみながら
体の仕組みには興味を持ち続け、紆余曲折を経て自力整体の世界に導かれました。
天からお借りしている体なのに、無謀な使い方をしてちょいと傷めてしまったけれど、
今は自分で手入れをして、お迎えが来るまで上手に使いこなしていく自信があります。
思考の枠は、「これをすれば体を壊す」または「やばいことが起こるかも」という
自己防衛反応かもしれません。そのため高齢化とともに、この枠は狭まっていくようです。
私は枠をかなぐり捨てて挑戦を続けた結果、自分の体はもちろん、周囲の気持ちも
傷つけてきた可能性があります。「人に迷惑をかけない」という点では母の方が
勝っているようです。
枠が有り過ぎるのも、無さ過ぎるのも問題で、東洋医学でいう「中庸」が良いようです。
私は長年、「枠に縛られすぎている母は可愛そう(怪しからん?)」と思ってきました。
が、最近は母と喋る度に、<両極端の親子がお互いから学べるように>という
天の親切を感じています。