健康「いろはガルタ」  《し》


   Oxalis cernua   セルヌアの季節 到来!

   《し》 シンクロナイズド 心と身体

 気持ちと動作、息と声、球技において相手からの打球に対する意識と実際の返球、
優雅に踊りたいのに実際はガチガチの身体、我を捨てたい気持ちに反する自意識過剰・・・・
人は日常生活を自分の意のままに暮らしていると思い勝ちですが、どっこいなかなかです。

 たかだか趣味の卓球くらいでも、「ボールが一番高い点まで上がってから打つのよ!」と
言われても言われても待てなくて、焦ってラケットを早く振ってしまい、ボールはネットイン!
「ラケットは寝かせ過ぎないで!肩の力を抜いて!」の声に必死に集中し、
1~2回は出来ても、すぐに集中が途切れ、力んでしまい、本能のままに動いてしまい、失敗。

 合気道のようにゆっくり技を体験し、手取足取り教えられても、気ばかり焦って、
意識と手足の動きが連動しません。もっとひどいのは、ヴォイトレのレッスンで、
声を発するための横隔膜の動きが実際の発声と連動せず、息漏れや腑抜けの声になって
しまうことです。

 まぁ、60の手習いですから「怪我をしないように楽しめば良い」と割り切れば良いのですが、
どうせするなら、気持ちと動作はシンクロさせて行いたいものです。

 しかし、「怪我をしなければ良い」などと笑ってすませられない場合もあります。
先日友人宅のビデオで見た、高齢になって感情のコントロールが出来なくなった人の話です。
「子供の頃から、思いっきり笑ったり泣いたり怒ったりしたことが無いんだよネ」って!!!
解説者によると、肉体的にも極限まで頑張って走ったり跳んだり遊んだりしていない人たちは
感情の抑制が難しくなるそうです。

 キレる子供、キレる大人、そしてキレる高齢者!と、こんなにもおかしな人が増えたのは、
どうしてなのでしょう?私の子供時代は電子ゲームなどなかったので、女の子も外で元気に
飛び回って遊んでいました。たまには木から滑り落ちたり、溺れかけたり、喧嘩してべそを
かいたり、いじめられたり・・・。そのため、泣いたり笑ったりは日常茶飯のことでした。
祖父母の死に立ち会ったり、ペットの最期を看取った時の涙の感触は今でも覚えています。

 「今は時代が違う」ことは確かです。
だからこそ昔と違う方法で、誰もが社会の健全さを模索することが必要です。
幸い私は「自力整体」という健康法にめぐり合い、
「これをやれば、身体が心地よい状態になる」という技を伝えることができます。
他の人もそれぞれ何かはある筈です。それらを実行することで、自分も社会も幸せになる・・・
こんなシンクロナイズド・ボディワーキングを目指しています。

上部へスクロール