人はどう死ぬのか  その9 がんで死ぬことの効用

ブログ読者の皆様はとっくにお気づきと思いますが、
ここ数週間にわたって介護や看取り関係の本を読んでいるのは、
私の夫が正に、腹膜播種という状態だからです。

治る当てのない状況を少しでも痛み少なく、安楽に過ごしてもらう!
この目的のために頑張っています。
この本の著者・久坂部医師はその方法と実状を非常に明快に
説いてくれています。

p.135 がんは治療さえしなければ、ある程度の死期がわかるので、
   それに向けて準備ができます。もう一度行きたいところ、
   会いたい人、食べたいもの、聴きたいもの、したいことを
   楽しみ、世話になった人にお礼を言い、迷惑をかけた人に
   謝り、(後略)

   己の来し方を振り返り、いろいろなことを思いだして、
   自己肯定したり、苦笑いしたり、感謝したり、自分をほめたり
   人生を慈しむ時間的な余裕もあります。

   あとは死ぬだけなのですから、何の努力も我慢も必要なく、
   自由気ままにすごせます。

   そのいぇ、超高齢の不如意、不自由、情けなさに直面する危険も
   確実に避けられます。
こんな安心なことはありません。

と、書いてありますが、内実は・・・・・不如意だらけです。
いえ、久坂部医師の言葉は「もし、病気が癌だけなら」事実なのでしょう。
でも夫の場合は腸閉塞があって、その治療をしないと悶絶の苦しみです。
小腸までイレウス管という4mもの管を通し、絶飲食のまま何週間も過ごす。
その間も絶え間ないお腹の痛みに苛まれます。

自分が最期のとき、どんな痛みに襲われるのかは、誰にも分かりません。
恐れすぎることなく、でも、やれる範囲の健康法は実行する。
もうちょっと何かしておけばよかった・・・・・と、後悔するのは避けたいです。

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