p.134 もう一つ、望ましい死に方として思い浮かぶのは老衰死でしょう。
十分に長生きをして、最後は眠るように亡くなる。なんとなく
安らかなイメージがあるでしょう。しかし、
実際の老衰死はそんなに生やさしいものではありません。
(著者が在宅医療で多くの老衰死の患者さんを看取った経験では)
老衰死は死ぬまでが大変なのです。それまで元気でいて、
急に衰えるわけではなく、死のかなり前から全身が衰えるわけではなく、
死のかなり前から全身が衰え、不如意と不自由と惨めさに、長い間、
耐えたあとでようやく楽になれるのです。
視力も聴力も衰えますから、見たり聴いたりの楽しみはなく、
味覚も落ちますから美味しいものを食べてもわからず、
それどころか食べたら誤嚥して激しくむせ、誤嚥性肺炎の危険に
さらされ、腰、膝、肘とあらゆる関節痛に耐え、寝たきりになり、
下の世話はもちろん清拭や陰部洗浄、口腔ケアなどを受け、
心不全と筋力低下でカラダは動かせず、呼吸も苦しく、言葉を発するのも
無理というような状況にならないと、死ねないのが老衰死です。
p.135 (中略)みながみなそうなるわけではなく、なかには安らかに
息を引き取る人もいるでしょう。しかし、その理想的な状況だけを
イメージしていると、心の準備ができず、実勢の老衰がこんなに
っ苦しいとはと、余計な嘆きに苛まれる危険性は大です。
105歳で亡くなった日野原重明先生の最期は、毎日毎日コンコンと
眠っていらしたそうです。果てしない夢を持ち続けた方なので、
やり残したことが残念でたまらなかったのか、どこか痛かったのか?
誰にも分かりません。