新老人の会から「教育医療」という冊子が、会員へ毎月郵送されます。
日野原先生の2月号巻頭言で考えさせられたことを書きます。
以下、巻頭言の抜粋です。
(前略)医療の究極の目的は、患者の”Quality of Life”を大切にすることです。
”QOL”というのは、生活の質、生存の質、あるいは生きる心の姿、生き甲斐
ということになります。つまり、その人が生き甲斐を持って生きるために
医療的な援助をするということです。
神谷美恵子さんが、「生きがいについて」という本を書いておられますが、
外国語には「生きがい」を表す適切な言葉はないと述べています。
”TUNAMI(つなみ)”という日本語がそのまま国際語になっていますが、
あるいは「生きがい」も日本語のまま通用するようにしたほうがいいのかも
しれません。
これからの医療は、患者が生きがいを感じられる生活は何かということを
チーム医療で具現化することを考えなければならないでしょう。
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これを読んで思ったのは、「はて? 生き甲斐の定義って何だっけ??」です。
昔、精神的に、もの凄く辛いことがあったとき、
「生き甲斐の創造」という本を紹介され、救われた記憶があります。
その内容は、
人は何かにチャレンジするために、今生の世に飛び込む(誕生する)。
目標成就のため、Soul Mateと共に綿密なシナリオを用意し、
色々な場面を創り出して、苦しみを乗り越え、良い人生を目指す。
終わったらまた、次の目標を設定し、何度でも(魂の浄化を)繰り返す。
ふ~~ん、な~るほど。
そういうことなら、今、どんなに苦しくても、仕方がないんだ……
どうやって乗り越えるのか? そこに集中すれば良いのね、と思いました。
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この考えでいくと、「生き甲斐は、自分で創るもの」です。
それが自分の心の中にあっても、病苦にさいなまれると、何も感じられず、
「生きていても仕方ない」となってしまうのでしょうか……
現在の私の生き甲斐は
「ミュージカル・シナリオを書き、仲間を募り、練習を積んで
質の高いステージを目指して頑張る」
そして、それが単なる楽しみ(趣味)に終わらず、
「社会を明るく、良くするために役立つ」ことですが、
私がもしも不治の病に侵され、死の床にあるとき、
私の生き甲斐は何になるのでしょう??
もしも歌ったり踊ったりできなければ(その気力がなければ)シナリオを書くことだけ?
ま、書くことも、書きっぱなしではなく、
このようにブログに書いたり、教室で喋って、
生徒さんや読者の方と共感したり、質問が来ることが、
そのコミュニケーションが嬉しく、生き甲斐にはなりますが……。
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もう少し軽いとらえ方もあります。
「子供が生き甲斐」「飼い猫が」「歌が」など、
家族やペット、趣味が「生き甲斐」という方は結構多いと思います。
でも、子供は巣立つし、伴侶やペットもいつかは死期を迎えます。
歌やミュージカルは、一つ終われば、次々と課題が生まれ、エンドレスです。
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では日野原先生が言われる「生き甲斐」とは?
私のイメージ的には「生きる喜び」のことかと思われます。
終末期の段階でこれを感じるには何が必要か?
少なくとも体内に抗がん剤の毒などが無くて、「切り裂かれるような痛み」や、
生活や経済上の不安が無ければ一安心。そして、
緩和医療や医療者の笑顔、寄り添ってくれる人たちや平和な環境が……。