自宅で大往生の大家・・・・・と思われた早川医師ですが、
意外に医療に縛られている様子。余分な処置を避けるには、
よっぽど堅固な意思と家族の協力(理解)が必要なことがわかります。
p.233新たに治療方針を決める度に、父はいつもこんな
ふうだった。どこかで躊躇し足踏みをする。
でも家族が、「一か八かやってみようよ」と促すと
それに従ってくれた。
ポートというカテーテルの一種を埋め込む手術の時も、
左目の手術の時もそうだった。
「お前らがそんなに言うなら、やってみる」
父は決して前向きではなかった。
p.235以降、著者は父・早川氏の大往生哲学を理解していたから、
余分な延命治療は望まないだろうと思っていたのに、意外な躊躇が
あって足踏みを繰り返します。
「早川先生は、家族に背中を押してほしいのです」と、
主治医が言ったときに、父はどっちに押して欲しかったのか、
分からなかった。
この辺の優柔不断さは、高齢故の認知症なのか?と思うほど、
判断力とか、自分の意思がないように見えます。
そして結局
p.236 「何もしないのは、殺人のようだ」妹が言った
「治療をすれば、もう少し長生きできるかもしれない。
ちょこっとやってみるだけでも」
(中略)「あかんかったら、すぐ辞めたらいいし」
これこれ!私自身はこの辺の葛藤や優柔不断に陥りたくないし、
家族にもちゃんと伝えておくつもりです。92歳にもなって
更なる延命・長生き志向は無いでしょう。
そのように決心していても、ままならないのが人生なのか?
難しい問題です。